30代子持ちのキャリアチェンジ記

1991年三重生まれ、金融系SEから転職したい。渋谷区で0&3歳児子育て中。食べることと旅行が生き甲斐

【ななめよみメモ】奇跡のリンゴ 石川拓治

木村秋則さんが完全無農薬のリンゴ栽培を実現するまでの記録。

木村さんの言葉は、人間は自然の一部であること、人間の営みが自然を破壊して成立していることを気づかせてくれた。

 

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p53~54

・自然はそれ自体で完結したシステムであり、人が手助けなどしなくても草木は葉を茂らせ花を咲かせ種を実らせる。そのシステムに手を加え人間に都合のいい結果を得ようとする人の営みが農業というものだ。

・現代の農業は大量の化学肥料や農薬を投入し。農業機械を使わなければ成り立たなくなっている。農作物は自然の産物というよりもある種の石油製品になってしまった。

 

p76

・フランスやイタリアの地方を旅する楽しみは、例えば緩やかな斜面に延々と続くぶどう畑の眺めの美しさであったりするわけだけれど、それは純粋な自然の美しさとはまた別のものだ。それは本来ならそこに存在していたはずの在来の植物や昆虫や動物を根絶やしにした景色でもある。

 

p113

・木村が過ごした苦労の年月は、自分の心でリンゴの木と向き合えるようになるために必要な時間だったのかもしれない。木村がバカになればいいと言ったのはそのことだ。人が生きていくために経験や知識は欠かせないけれど、人が身に新しい何かに挑む時に最大の壁になるのはしばしばその知識や経験なのだ。 木村は一つ失敗をするために一つの常識を捨てた。100も1000もの失敗を重ねてようやく自分が経験や知識など何も役に立たない世界に挑んでいることを知った。

 

p126

・自分は今までりんごの木の見える部分だけ、地上のことだけを考えていた。目に見えないリンゴの木の地下のことを考えていなかった。葉の状態ばかりが気になってリンゴの根のことを忘れていたのだ。 森の中で、雑草が生い茂る土で、すくすく育つドングリの木。 その柔らかな土は人が作ったものではなくその場所に住む生きとし生けるものの全ての合作なのだ。落ち葉と枯れた草が何年も積み重なり、それを虫や微生物が分解して土ができ、底に落ちたドングリや草の種が芽を伸ばしながら根の深い部分まで耕していく。土の中にも草や木の表面にも無数のカビや菌が存在していて、その中には良い菌も悪い菌もいるだろう。自然の中に孤立して生きている命はないのだ。

 

p131

・リンゴの木はリンゴの木だけで生きているわけではない。まわりの自然の中で生かされている生き物だ。人間もそうなんだが、そのことを忘れてしまって自分独りで生きていると思っている。そしていつのまにか自分が栽培している作物もそういうもんだと思い込むようになってしまった。農薬を使うことの一番の問題はそういうところにあるんだよ。農薬を撒くということはリンゴの木をまわりの自然から切り離して育てるということなんだ。

 

p153

・害虫の虫取りをしながらふと、虫の顔をよく見てみると、害虫だと思っていたのによく見たら可愛い顔をしている。今度は益虫の顔を見てみたら怖い顔をしている。人間は自分の都合で害虫だの益虫だの言っているけれど、毛虫は草食動物だから平和な顔をしているし、その虫を食べる益虫は肉食獣だから獰猛な顔をしているわけだ。

 

p155

・木村の抱えていた問題は自然の摂理と人間の都合の折り合いをいかにつけるかという問題でもあった。折り合いのつかない部分が虫や病気として現れていた。 農薬はいとも簡単にその問題を解決するがそれにより自然のバランスが深い部分で傷つけられていた。

 

p167

・人間にできることなんて、そんな大したことじゃないんだよ。私じゃない、りんごの木が頑張ったんだよ。 主人公は人間じゃなくてりんごの木なんだ。 自分がりんごを作っていると思い込んでいた、自分がりんごの木を管理しているんだ。私にできることはリンゴの木を手伝うことでしかないんだよ。

 

p185

・自然を細切れに分解して理解しようとするのが自然科学のつまり学者の方法論だとするなら、自分が為すべきはその反対のことだと木村は言いたいのだろう。自然は細切れなんてできない。自然の中に孤立して生きている命など存在しない。自然をどれだけ精緻に分析しても、人はリンゴひとつ創造することはできないのだ。バラバラに切り離すのではなく、ひとつひとつのつながりとして理解すること。科学者が一つ一つの部品にまで分解してしまった自然ではなく、無数の命のがつながりあい絡み合って存在している生きた自然の全体と向き合うのが百姓の仕事なのだ。これは言葉で語るほど簡単なことではない。何かを理解する時に物事を分析的に見るのは人間の癖のようなものだ。

 

p186

・ 肥料を与えれば確かにりんごの実は簡単に大きくなるまるけれど、リンゴの木からすれば、安易に栄養が得られるために地中に深く根を張り巡らせなくてもいいということになる。運動もろくにしないのに食べ物ばかり豊富に与えられる子供のようなものだ。現代の子供たちに、免疫系の疾患が増えていることは周知のことだが、肥料を与えすぎたりんごの木にも似たことが起きるのではないか。その結果、自然の抵抗力を失い、農薬なしには害虫や病気に勝つことができなくなるのではないか。 農薬で育ったりんごの木の根の長さはせいぜい数メートルというところだが、畑に雑草を生やして肥料を与えてない木村の畑のりんごの木は調べてみると20 メートル以上も根を伸ばしていた。

 

p195

・自然の手伝いをして、その恵みを分けてもらう。それが農業の本当の姿なんだよ。 今の農業は残念ながらその姿から外れている。ということはいつまでもこのやり方を続けることはできないということだよ。 どんなに科学が進んでも人間は自然から離れて生きていくことはできないんだよ、だって人間そのものが自然の産物なんだから。 自分は自然の手伝いなんだって人間が心から思えるかどうか。人間の未来はそこにかかっていると私は思う。