30代子持ちのキャリアチェンジ記

1991年三重生まれ、金融系SEから転職したい。渋谷区で0&3歳児子育て中。食べることと旅行が生き甲斐

【ブックレビュー】幸せになる勇気 岸見一郎

参考になった ☆☆★★★

読みやすさ  ☆☆★★★

おすすめの読者

  ・子供との接し方(教育方法)に自信がない方

***

以前ブックレビューした「幸せになる勇気」の続編。

結論:幸せになるには、「自発的に他者を愛すること」!!!(かな?

「幸せになる勇気」の内容を100%理解できていない状態で読みましたが、子供への接し方については参考になったけど、「幸せになるには?」という問いへの答えとしてはウーンという感じでした。笑 「幸せになる勇気」よりも理解しづらかった。この本の思想も心底納得&理解はできておらず、実践できるかも自信ありません><

 

***

<教育とは>

・教育の目標は「自立」であり、教育とは「自立」に向けた援助をすることである。

・「自立」のためには他者を「尊敬」することから始める。心理学者のエーリッヒ・フロムによると「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力」「尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかうこと」。

・「自立」の援助のためには、一つ一つの決断を子供自身が決めていいと教えること。自分の人生は、日々の行いは、すべて自分で決定するものなのだと教えること。そして決めるにあたって必要な材料(知識や経験など)を提供するのが教育者の姿である。

子供を「尊敬」するための第一歩は、「他者の関心事」に関心を寄せること。子供たちが夢中になっている遊びに大人も関心を寄せて理解しようとすること。

アドラー心理学では「共同体感覚」を重要視するが、それは言い換えると「他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じる」こと。そのためには「共感」という技術が必要となり、「他者の関心事」に関心を寄せることは共感の第一歩である。

 

<賞罰について>

アドラー心理学では、賞罰(叱ったり褒めたりすること)を否定する。賞罰は、子供を自分の支配下に置き、子供の自立を妨げる行為である。

・叱ることは、互いの「尊敬」を毀損する行為である。

・子供が大人から叱られるような言動をとるのは、純粋にそれが悪いことと知らなかった場合と、注目されたいという目的のためわざと悪いことを行う場合とがある。前者の場合はそれが悪いことだと教えてあげればいいし、後者の場合は原因を追究するのではなく「これからどうするか」を理性的に一緒に考えること。

・生徒を叱って教育し、あとから生徒に「先生があの時厳しく叱ってくれて感謝しています」と言われてたとしても、それは「いま」を肯定できているから過去を肯定しているだけである。我々の世界の「過去」とは、十人十色の「いま」によって色を塗られた解釈である。

・「褒める」ことは、褒められることを目的としてリーダーや思想に従うことに繋がってしまう。また、「他者は全て敵だ」というライフスタイルを身につけていく。そういった競争原理ではなく、協力原理に基づく共同体を築いていくべきである。

・人間の子供はだれしも、心理面でのやりたいことが肉体面でのやりたいことに追いつかないという不完全さを経験するため、劣等感を抱かざるをえない。不完全であるという弱さゆえ、共同体を作って協力して生きてきた。つまり、全ての人には他者と協力しあって生きてきた「共同体感覚」が内在している。

・承認欲求は、他者の期待を満たす生き方につながる。そうではなく、自らの意思で自らを承認する。「わたし」の価値を自らが決定することを自立と呼ぶ。

 

<幸せになるために 「与えよ、さらば与えられん」>

アドラー心理学では「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と考え、それは裏を返すと「すべての喜びは対人関係の喜びである」ということである。

アドラー心理学では、対人関係の中で直面する人生の課題として、3つのタスク:「仕事」「交友」「愛」のタスクを挙げている。

・「仕事」のタスク:人間がこの世で生きていくために共同体で分業を行い、それぞれの得意分野を受け持つことで経済秩序が築かれ、やがてその利己心が他者貢献へと繋がっていく。

・「仕事」と「交友」の違いは、そこでの対人関係が「信用=条件付きで相手を信じること」に基づくものか、「信頼=無条件に相手を信じること」に基づくものかの違いである。

・教育の目標である子供の「自立」のための第一歩は、相手を「尊敬」すること。尊敬するためには、相手への「信頼」が必要となる。つまり、信頼と尊敬は同義といえる。

・他者のことを尊敬できるかは、自分次第である。「大切なのは、なにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか」。相手がだれであっても、尊敬し、信頼を寄せることはできる。相手が自分を信じようと信じまいと、自分から相手を信じるという能動的な働きかけが必要であり、それこそが無条件に信じる=信頼ということ。しかし、相手が自分を信じてくれるかどうかは相手の課題である。我々は、分かり合えない存在であるがゆえに、自ら信じるしかない。

 

<「愛」のタスク>

アドラー心理学における「愛のタスク」では、愛とは意志の力によって、なにもないところから築き上げるものであるとされる。アドラーは、「愛に落ちる」までではなく、ふたりが結ばれた後の関係に注目し、能動的に他者を愛する技術が必要とされる。

・分業社会ではわたしの幸せを突き詰めていくと結果としてだれかの幸せにつながる。交友関係は、相手を信頼し・与える利他的な態度によって深まる。愛の関係とは、「わたし」や「あなた」よりも上位の「わたしたち」の幸せを築くことである。利己的でも利他的でもなく、人生の主語は「わたし」から「わたしたち」に変わっていく。

自立とは、自己中心性からの脱却である。自分が世界の中心であった幼少期のライフスタイルから脱却すること。そして他者を愛することで人生の主語が「わたしたち」になり、やがては共同体全体に、人類全体にまでその範囲を広めていくこと。

・子供は、非力であるがゆえ親に愛されてこそ生きていける、「愛されるためのライフスタイル」を選択して生きてきた。それは、いかに他者からの注目を集め、世界の中心に立てるか模索する自己中心的なライフスタイルである。このライフスタイルから分かれることが自立である。

・我々は、他者を愛することによってのみ、自己中心性から解放され、自立し、共同体感覚にたどりつくことができる。相手が自分のことをどう思っているかは関係なしに、ただ愛すること。

・運命の人はいない。結婚とは「対象」を選ぶことではなく、自らの生き方を選ぶことであり、「対象」は誰でもよい。愛することは、決意であり、決断であり、約束である。愛と結婚は、「ふたりの人間が共同の仕事に参加するあそび」というダンスである。

・「愛とは信念の行為であり、わずかな信念しか持っていない人は、わずかにしか愛することができない」by エーリッヒ・フロム

 

***

ひたすら重要ワードを箇条書きにしただけで、要約にもレビューにもなっていない^^